ごあいさつ
里帰りしたようなお帰りなさいの宿

川島旅館は、豊富温泉が開湯した頃からお客様に家に帰ってきたような
心地よさを感じていただけるような、
アットホームな旅館として営業してまいりました。
豊富温泉開湯90周年を迎える節目の今年、私たちは新しい川島旅館に生まれ変わります。
これまで川島旅館を愛して下さったお客様たちが、
新しくなった川島旅館にも、かつての面影を見出してくれるよう、心を割いて計画をつくりました。
私たちには子どももいます。
猫もいます。
常連のお客様も加わって、いつも心地よくにぎやかなひとときを過ごせる旅館を目指しております。
コンビニも、お土産やさんもない、ここだから過ごすことのできる時間をぜひ川島旅館でお過ごしください。
豊富温泉と川島旅館の歴史
これまで知られていなかった、
ここぞ日本一の名湯。

豊富温泉は大正15年、石油の試掘の際に高圧の天然ガスと共に
43℃のお湯が噴出したことから開湯した温泉です。
昭和2年、当時同議会議員も務めていた中田鶴吉氏から
「温泉が出たから宿をやらないか」と声をかけられ、川島旅館を建てたのが初代当主、川島末吉でありました。
長女であった川島幸枝(大正14年-平成28年)が二代目女将として、
全盛期の豊富温泉を支えてきました。
平成に入ってからはアトピーや乾癬などの皮膚疾患によいとの評判が高まり、
長期滞在する方が増え、
三代目の松本康宏は、現代の豊富温泉のリーダーとして、
アトピー療養者の受け入れや移住の取り組みにも積極的に携わってきました。
二代目女将 川島幸枝さん
生前最後のインタビュー
プロフィール

川島旅館三代目
株式会社川島旅館代表取締役
松本 康宏
1975年 豊富生まれ
先代川島幸枝の孫として生まれ、子供の頃から「大きくなったら跡継ぎになるんだよ」と言われて育ちました。
札幌で高校卒業後、札幌中島公園にあった料亭「海洋亭」で修行をつみ、1999年24歳で豊富温泉に戻りました。
もともとのスイーツ好きが功を奏し、旅館で出していた豊富牛乳でつくったプリンを商品化。北海道商工会連合会の商品力強化事業などに参加し、豊富温泉のお土産として「湯あがり温泉プリン」を定着させました。
人口減少の進む豊富温泉の中で、「豊富温泉はじめは6人衆」を立ち上げ、温泉街の活性化に取り組み、「豊富温泉雪あかり」などのイベントをスタートさせました。
2014年は北海道食クラスター進事業の一環で、北海道の誇れる食材や商品をもっと全国にしらしめ知らしめるべく、マーケティングや商品創りのノウハウを学ぶ「フード塾」に参加。
さらに2015年にはイタリアンの巨匠奥田政行シェフのもとへ、2016年には中華の鉄人脇屋友詞シェフのもとへ料理の修行へ赴き、さらなる料理の幅を広げています。
豊富町観光協会温泉部会長
2児の父。趣味は映画観賞と車の運転。
川島旅館三代目女将
株式会社川島旅館取締役
松本 美穂
1976年 函館生まれ
建築家清家清氏の「日本にバウハウスをつくりたい」という想いで設立された札幌市立高等専門学校(現札幌市立大学)にて環境デザインを専攻。
㈱環境開発研究所、㈱ライヴ環境計画にて公園緑化設計やまちづくり、温泉観光振興などの業務に携わってきました。
2007年、設計したプランが「第18回緑のデザイン賞国土交通大臣賞」を受賞。
2008年、NPO法人ガーデンアイランド北海道事務局として、札幌市の姉妹都市交流事業の一環としてドイツミュンヘン市のメモリアルガーデン造作。
趣味は読書。2010年北海道印刷工業組合らの実施する第2回「心に響く…北のエピソード」にて優秀賞受賞。